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August 1582015

 手花火の小さく闇を崩しけり

                           蔵本聖子

ち上げ花火ならお腹に響くくらいに大きい単純なのが、手花火なら線香花火が好ましい、というのは勝手な私見である。もちろんよくフィナーレに使われる連発の花火も美しいし、手で持ってくるくる回したりするのも楽しくはあるのだが。いずれにしても闇あってこその花火、この句の花火は線香花火だろう。小さく闇を崩す、と感じさせるのは牡丹が終わって大きい火の玉ができて、すこし沈黙した後の松葉が始まるあたりか。あの独特の音と細かく繊細な火花は、一瞬そこにある闇とぶつかってその闇を崩したかと思ううちに、すぐ弱まり雫になって燃えおちる。そんな線香花火とその後ろにある大きな闇を、少し離れたところから見ている作者なのだろう。『手』(2015)所収。(今井肖子)




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